活法ラボ社員にインタビューしてみました!(2)―佐藤廉(前編)
活法ラボの岡本悠馬です。
活法ラボの求人企画の一環として、そして、仲間の素顔をもっと知りたいという私の個人的興味の一つとして、メンバーにじっくりとお話を聞くインタビュー企画を立ち上げました。
前回は佐藤章代さんにお話を伺い、鍼灸師になった経緯から栗原との出会い、入社に至る経緯まで、根掘り葉掘りお話を聞きました。
(活法ラボ社員にインタビューしてみました!(1)―佐藤章代)
今回も「佐藤さん」にご登場いただきますが、名字が同じなのはたまたまで、こっちの佐藤さんは、東京の「はりきゅうルーム カポス」に勤務しています。
それではお二人目のメンバーにご登場いただきましょう。
2018年10月に入社した、佐藤廉(れん)さんです!
鍼灸師になったきっかけ
では、今回もさっそくこの質問から。
廉くんが鍼灸師になったきっかけは何ですか?
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小・中・高と、ずっとバスケをしていて、大きなケガはなかったんですけど、メンテナンス的に接骨院に行くと鍼をやってもらったり、お灸をやってもらってました。 高校時代はトレーナーの人がたまに来ていたので、そのときにやってもらったりとかしてました。 それで、「鍼灸師という仕事もあるんだなー」と思うようになたのがきっかけですかね。 サラリーマンになるイメージがなかったので、やっぱり資格を取って「手に職」という考え方もありました。 |
鍼灸を受けたことがないのに鍼灸師になってる人と、廉くんみたいに、昔、鍼灸を受けたのがきっかけで鍼灸師になったっていう人がいますよね。 栗原先生と小堀くんは「受けてた派」で、「自分がお世話になったから」とか、「感激して」みたいなので鍼灸師になった。廉くんもそっちパターンなんですね。
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そうですね。鍼灸師になる前に受けたことがありましたね。 |
僕と章代さんは、まったくケガも何もしたことがなくて、鍼すら受けたことがないくせに鍼灸師になってしまったパターンなんですよね。
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そうなんですね(笑) |
ここから新たな派閥が生まれてしまう予感がしますね(笑)
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これから入って来る人に、「どっちなんだ?」って聞いて(笑)
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「どっちの派閥に入るんや!?」みたいな(笑)
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「劇的に効いた」というのはなくて、メンテナンス的な意味合いが強かったですけど、栗原先生はけっこう「鍼灸スゲー!」みたいなのがあったみたいですね。小堀くんもそうかな? 鍼灸自体は知っていたし、楽になったっていうのはあるんですけど、「絶対鍼灸師になろう!」っていうほどではなかったですね。 「鍼灸師っていう職業もあるんだな」くらいで、選択肢ができたっていう感じですね。 |
やるときゃやる、意外と負けず嫌い
ざっくりした質問で答えにくいかもしれないですけど、廉くんてどんな子どもだったんですか?
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どんな子ども……?
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そんなに押しの強い感じではないから、僕の中でのイメージでは、クラスの中でそんなに目立つタイプではないけれど、でも友達が多いだろうなっていう感じです。
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(笑)どうですかね。でもまあ、僕の場合は小学校からバスケをやっていたので、その友達とは仲良くしてましたね。 |
スポーツ少年だったんですね。
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そうですね。キャプテンをやったりしてたんですけど、確かに立候補するタイプではないですね。
なんとなく、なんか、「あれっ!? 自分がキャプテンのポジションなの!?」みたいな(笑) 負けず嫌いではあるので、上手くなりたくて、練習は一生懸命やってたと思いますし。負けそうになるとすごく悔しいんで、けっこう強気に出る、というか。 |
そんなに闘争心が激しそうには見えないんですけど、負けず嫌いの部分があるんですね。
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わりと、スポーツはそうですね……でも、それ以外もそうかもしれませんね。
僕、末っ子なんですけど、上の2人とけっこう歳は離れていて、兄と姉がいるんですけど。 |
いくつ違うんですか?
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兄が8つ上、姉が6つ上ですね。
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そこそこ上ですね。
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ケンカをすると、僕は絶対敵わないんですけど、それをわかってても負けたくない。ただ、完璧にあしらわれてましたけど。
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負けず嫌いだ(笑)
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小学校の時も、上のポジションになんとなくいたりして。多分、まわりよりできない分、あと、バスケがすごく好きだったので、練習を一生懸命やってたら、それなりに上手くなるんですよね。
小学校、中学校レベルだと、上手い人がなんとなく自然に上の役についたりしますよね。 |
確かに、キャプテン=上手い人みたいな。
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っていうのがあったので、なんとなく、って感じだったんですけど、そうなるとこっちもなんか強気に出すぎてしまうこともあって、今考えるとワガママなキャプテンだったなと思いますけど。
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本当に?
そうなんですね。やっぱりいろいろ経て、成長して今の廉くんがいるんですね。
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そうですね。丸くなってきて(笑)
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角が取れて(笑)
今はあまりそんな尖りを感じないから、昔からそんな感じなのかな? と思ってましたけど。
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そうですね。頑固さはあるんだと思うんですよね。でも、バスケをやってたときみたいな「何でもかんでも」という感じではなくなってますね。 |
そうなんですね。やっぱりイメージだけで人を見ていたらダメですね。
例えば、写真を撮るときにも、どちらかというと端よりにいる人かなと思っていたんですけど。
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そうですね。何も言われなければそうします。でも、「お前キャプテンだろ?」って言われたら、とりあえず「じゃあ」って。 |
1年かけて学費を貯めて鍼灸学校へ
そうなんですね。それは頼もしいな。
そういえば、前にちょっと聞きましたけど、鍼灸師になる前は栄養士の学校に行ってたんでしたっけ?
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鍼灸を知ったきっかけもトレーナーの人が鍼灸をやってたことだったので、そのトレーナーの人とかに話を聞いたときに、「栄養学も勉強している」って話をしていて、その当時も自分が食べた物を書いてトレーナーの人に渡したりしてたんですよ。それでアドバイスをもらったりとか。
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「うまい棒はチーズ味も食べなさい」とか。
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そうですね(笑)「めんたい味ばっかり食べるんじゃないよ」って(笑) それで、スポーツのことだけよりも、体を作るっていうことも大事な知識なのかな、と思ったんですね。 |
それは地元の仙台で行ってたんですか?
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廉くんは仙台の出身です。
東京ですね。
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あ、東京なんですね。
じゃあ、高校まで仙台で、高校を卒業してから東京の学校に行って、そこを卒業して、そこからどういう経緯があったんですか?
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スポーツ栄養とか、トレーナーとか、考えてたんですけど、いろいろと難しいということを聞いたりとか、もしかしたら合わないかも、ということを感じてたんですよね。 で、2年生のときに接骨院のお手伝いみたいなことを始めたんです。柔整師や、鍼灸師、マッサージ師がいる職場で、そこで半年くらい働いたときに、やっぱり鍼灸とかをやってみたいなと思うようになって、そこの先生に相談したら「やりたいと思うんだったら行ってみてもいいんじゃない?」と言われました。 「じゃあ鍼灸マッサージの学校に行きたいな」と思って、そこから1年間くらいはフリーターのように働いて、学費を貯めていました。それで、学校に入りました。
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ご両親は賛成してくれましたか?
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そうですね。ありがたいことに「好きにやっていいよ」っていうことでした。 まあ、うちはもう父親が亡くなっていて、母親だけなのですが。
高校を卒業したら地元にいてほしいっていう思いもあったと思うんですけど、母親も「やりたいんだったらやっていい」という風に言ってました。ただ、東京より西に行くのは「遠い」というイメージもあったみたいで、東京くらいまでなら帰ろうと思えばすぐ帰れるし。そっちに行きたいなら、いいよ、という感じでしたね。 鍼灸の学校についても、「あんたが行きたいならいいんじゃない?」という感じでしたね。だから、それがありがたかったです。その前の栄養士の学校はお金を出してもらってたので、さらに鍼灸学校の学費をというのはお願いしづらいかったので、1年働いてました。
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けっこう大変だったでしょう? 鍼灸学校のお金を貯めるのは。
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そうですね。もちろん、学校に行っていた3年間も働いてはいたので、その1年間のフリーターの間に、入学金とか、前期の分の授業料とか、最初に出さなければならないお金と、あとちょっとだけ貯めて、あとは自転車操業的な感じで(笑)
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僕も一緒だったわ(笑)
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そうそうそう(笑) なんとか一期ずつ間に合うように、っていう感じでしたね。 |
大変だったでしょう?
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まあ、大変は大変でしたね。 |
そういうタイプがあるんですね(笑)
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ありますあります。
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そのコツを教えてもらってもいいですか?
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最優先が学費とか生活費ってなったら、それにお金を使うことしか頭にないので、他にお金を使う頭が当時はなかったですね。 もちろん仕事もしてるし、学校が終わってすぐ仕事に行って、夜10時とか11時くらいまでやって、また次の日学校行って、っていう永遠のループを繰り返してたんで。 だから、自然にお金が貯まっていきましたね。 |
あ、じゃあ、「突然誰かが現れて100万円くれる」とか、そういう方法があるわけではないんですね。
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あったら是非聞いておきたいですね。
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倹約家の廉くん
けっこう廉くんは倹約家なのかなと思うのですけど。
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まあ「使いたいものに使いたい」って思うので、使いたいときにないのはイヤなので、「そこに向けて」貯めることはできるタイプかもしれないですね。
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今日もお弁当を持ってきていると思うんですけど。
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バレてますね(笑)
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養気院にいたときも毎日お弁当だったし、熊谷総合病院でもおにぎりを持ってきてたから(笑)
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見られてるなぁ(笑)
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熊谷でも、みんながコンビニで済ますときに、しっかり毎回おにぎりとか持ってきているから、「偉いなあ」と思いながら、僕はセブンイレブンのちらし寿司を食ってましたね(笑)
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(笑)養気院のときは、最初はコンビニに買いに行ってたんですよ。 でも、僕、自転車しかなかったので、「案外コンビニが遠い」ということに気づいて。 |
コンビニ、最寄りだったらどのくらいかかりますかね。2キロくらい?
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15分くらいはかかりますね。遠いんで、「あれ!?」みたいな。「これ、結構……疲れるな」って(笑)
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物理的に買い食いが難しいという(笑)
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それならまあ、本当に簡単なものなんで、作ったほうが楽だなという事情もありました(笑)
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なんか、話が脱線してばかりで、全然まだ廉くんが鍼灸師にならないんですけど(笑)
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まずいな(笑)
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鍼灸の学校は東京だったんですか?
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東京です。
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鍼灸師になり、山梨へ
山梨にいたということも前に聞きましたけど、東京で学校を卒業して、鍼灸師になってからはどう過ごしていたんですか?
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最初は接骨院に勤めていたんですけど、鍼があまりできない職場だったので、「どうしようかな」と考えていたときに、学生時代に勤めていたところの先輩スタッフが山梨で開業していて、「手伝いに来ない?」という話をもらったので行くことにしました。
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山梨にもともと縁があったってわけではないんですね。そこでは鍼を打てたんですか?
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接骨院のときよりは多かったですけど、どちらかというとマッサージ、指圧がメインで、あとは「訪問マッサージ」っていう、医療保険を使った高齢者の方への施術をしてました。
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それで、山梨にはどれくらいいたんですか?
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4年いましたね。
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山梨はどうでしたか? あまり足を踏み入れたことがないので、イメージが湧かないんですけれど。
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雰囲気としては群馬にも似たところがあるとは思います。
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海もないですしね。
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暑いし。
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暑いんだ?
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暑かったですねー。暑かったし、寒かったし。盆地なんで。 |
そうか、甲府盆地か。
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僕が住んでたのも甲府なんで。山の方の清里とか、北杜というところにいけば、避暑地みたいなところもあるんですけど、僕が住んでたのは暑いところですね。でも、自然が豊かで、常に富士山が見えるっていう。
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それっていいですよね。
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もう、常に見えてましたから。
今思うと不思議な感覚がありますけど。 |
贅沢ですよね。
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環境的には、自然が豊かだったので、良かったですね。
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再び、東京へ
そこで4年働いて、また東京に戻ったんですか?
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そうですね。また東京に戻って。 |
それは何かきっかけがあったんですか?
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マッサージも悪くないんですけど、やっぱりもうちょっとこうしっかり「治す」というか、患者さんが良くなって、卒業していくような治療がしたい、どっちかっていうと慰安と治療の間みたいなものが多かったので、しっかり治せる技術を身に着けたいというのがありました。 |
廉くんは、マッサージ師の免許持ってますよね?
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持ってます。
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さっきから聞きながら、(「マッサージ、マッサージ」って言ってるけど、免許なかったらここの部分カットだな……)と思ってました(笑)ちゃんと免許持ってるんですね。
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あん摩マッサージ指圧師持ってますよ(笑)
訪問マッサージは医療保険を使うので資格がないとできないので。 |
「ヤミでやってたのかなぁ」ってとか、勝手に思ってしまって(笑)
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(笑)堂々と「マッサージ」って。 |
それで、東京に戻ってくるにあたってツテはあったんですか?
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なかったですね。東京に戻ってきてからも訪問マッサージの仕事をやっていて、活法ラボが求人しているというのを見て、「やっぱりやってみたいな」と思ったんです。
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整動鍼・活法との出会い
整動鍼や活法との出会いはいつ頃で、どんな経緯だったんですか?
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それまでセミナーというものにほとんど行ったことがなくて、経絡治療とか、積聚治療とか、長野式とか、あるのは知ってても、直接勉強会に行ったことはなかったので、何か行ってみたいなと思って探していました。
最初は活法からで、栗原先生のブログを見て、「活法っておもしろそうだな」って思って、古武術鍼法(整動鍼の旧称)がセットになった体験会があったんですよ。 それが上半身編、下半身編と分けてあって、当時僕は月曜日が仕事だったので、日曜日の1日セミナーに行ってたんですよ。 |
それはいつ頃の話ですか?
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4〜5年前ですね。「整動鍼」になって5年くらいになると思います。
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最近といえば最近ですよね。でも、毎年の変化が激しすぎて、4、5年前はもう遥か昔の話に感じますね。
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スピード感がちょっとおかしいんで(笑)
それで、「活法も鍼もおもしろいなー」と思って、東京に戻ってきてからセミナーにも行くようになったんですよ。 |
行きやすくもなりますからね。
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訪問マッサージの仕事でもできることって、活法の方が多いかなと思ったので、活法も受けて、でも鍼も知りたかったので、鍼のセミナーも受けて、という形でやってました。
ただ、なかなか、鍼で教わったことをできる職場でもなかったので、モヤモヤがありました。 |
東京に戻ってきてからもやっぱり、訪問マッサージが仕事の柱だったんですか
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そうです。
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栗原先生に会ったのは、活法研究会だったんですね。 会ったときの印象って覚えてますか?
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そんなに今と変わらないですね。栗原先生は「鍼の人」というイメージがあったんですけど、話しにくいとかそういうのはなかったです。すごく気さくで、他の先生の雰囲気も良かったので、セミナーにまた行きたいって思いました。
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その雰囲気って、今の整動協会でも変化はしてないですか?
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そうですね。来ている方もすごく勉強熱心ですし、真面目というか、本当に一生懸命やろうという人たちの集まりだというのは変わらないと思いますね。
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さて、佐藤廉くんが活法ラボに入るまでの経緯をまとめましたが、
(主に岡本のせいで)脱線が多くなり、長くなってしまいました。
次回は(後編)、廉くんの「活法ラボ入社編」に突入していきます!
どうぞお楽しみに!
わたしたちと一緒に鍼灸を楽しみ、未来を拓く仕事をしませんか?
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